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2017-01-08
そこは、窓からイスや机が降ってくるクローズのような学校だった。
前回までのあらすじはこちらをクリック
今回は中学校編
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中学は、窓からイスや机が降ってくるクローズのような学校だった。
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新宿の歴代最強中学校にも1位にする方がたくさんいらっしゃる有名な学校に入学した中込。
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入学する僕は、どんな楽しいライフが待っているのかとワクワクしていましたが、そんな僕の気持ちとは裏腹に心配そうにしていた母。
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でしたが、僕の学年は、皆すげーいい奴ばかりで、担任の先生とも相性が良く、特にグレることもなく普通に楽しく過ごせた。
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確かにまだ小学校感覚が抜けていない状態で、机が上から降ってきた時は、「なんだ?」と普通見上げるところを、見上げずにその場から去っていた。
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だが、先輩方も確かにヤンチャではあったが、僕は別に殴られたり、何か売らされたりしたわけではなかったので、毎日が割と楽しく、むしろ、そんなヤンチャな先輩方が運動会でとんでもない速さで走ったり、棒倒しでガチで棒を倒しに行ってたり、大暴れしているのを見て、そのギャップにカッコいいとさえ思っていた。
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小学校編でも伝えたが、こう見えてスポーツはかなり出来る方だったので、その先輩方の暴れっぷりに、刺激を受け、中学でもスポーツに明け暮れる日々だった。
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リトルリーグで野球、
部活はバレーボール部で花形ポジョンのレフトを3年間、
陸上と水泳も声がかかり、大会に出ていた。
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そんなスポーツ少年だった僕だったが、都会という立地が徐々に僕の感性を変えていく。
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オシャレというものに興味が出てきだしたのだ。
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まずは服をたくさん買うようになり、音楽、使っているもの、香水や整髪剤などにもこだわりだした。
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他人というものを意識しだすと、人は変わる。
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これも美容師になる第2のターニングポイントだったのかもしれない。
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自分はどういう風に見られているのか、
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またはどういう風に見られたいのか、
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自分は他人をどう見ているのか、
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知らず知らずのうちに勝手に他人に興味を持ち、勝手にいいものは吸収し、勝手に良い悪いを判断する。
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だがそれが、まだ中坊である為、見せ方は雑。
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そんなジレンマの中で、成長期に起こるハンパないニキビ。髪型ももちろん上手くいくことは3年間で一度もなかった。
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学校は学ランだった。
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僕は、見せ方がわからない上にやりすぎると、目立ってしまう為、程よい「位置」で校内に溶け込んでいた。性格がとても素直に出ている。
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その当時の少し遠慮した格好は、
ボタンは止めずに、白シャツはズボンから全て出して、ディッキーズのパンツにチェーンつけて、ガチャベル。
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妥当だな。
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この頃から上記で書いた地元の美容師さんにもらったハサミを使いたくてエアーカットから友達の髪の毛を切っていた。
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切らせてよと言ったのか、切ってよと言われたのかは覚えていないが、人毛を切っていたのはハッキリと覚えている。
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また、当時は、ビジュアル系、小室ファミリーが大流行。学校では、休み時間に、音楽室に行き、GLAYの『HOWEVER』を独学で練習したり、安室ちゃんの『CAN YOU CELEBRATE?』を教えてもらったりしていた。
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2作品とも確か1997年くらい?のリリースだったと思う。もう20年も経つ。
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当時は、哲哉とTAKUROの曲の完成度に何度も震えたもんである。
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そんな中、中2の時に急に、練馬区へ引っ越すことが決定した。
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学校どーする?
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両親からの質問に少し戸惑ったが、中3で友達の少ない修学旅行は嫌だったので、中3の1年間は練馬区から新宿まで電車とバスで通った。当時は副都心線もなかったので、結構キツかったが、学校が楽しかったこともあり、3年生の1年間だけは、無遅刻無欠席だった。
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また、中3の1年間で、3度の痴漢にあった。※小学生の時は4回。しばらくは満員電車が嫌でしょーがなかった。
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卒業間近、通信簿というものを意識せざるおえなかった。成績は、3年間とも図工と体育は常に5、国語も4か5で割と得意だった。が、あとは、普通。
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特にここに行きたい!という高校はなかったが、なるべく推薦で面接のみで行きたかったので、両親、担任の先生からのお勧めを蹴って、緑豊かな自由な校風、都立鷺宮高等学校へ進むことにした。
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次は高校編
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