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2017-01-10

スタッフブログ, 原宿サロンよりお知らせ

この事実を何故かスタッフやお客様は絶対信じてくれない。

新年!ということで改めての自己プロフィール紹介も高校編まできました。

小学校時代はこちら→

亡き祖母にカットしてあげたかった


中学校時代はこちら→

そこは、窓からイスや机が降ってくるクローズのような学校だった。

〜高校編〜

記憶というものは本当に厄介である。

まず、アイキャッチ画像について最初に触れておきたい。

僕は高校3年間、部活はバスケ一択であった。


これは最後に撮った集合写真であるが、部員はもちろん覚えている。

高校からバスケを始めた僕にルールや戦略など教えてくれた頼れるちっちゃいキャプテン、とりあえずカッコいいプレーでムードメーカー的存在だったパワーフォワード、バンドマンでありながら、3Pをスラムダンクの神のようにスパスパ決めるクールなシューティングガード、いい人オーラがにじみ出ている優しすぎるセンター、24時間ずっと走ってられる驚異のスタミナ男、そして、僕ら3年より全然うまかった信頼できる後輩達。とてもバランスのとれたいいメンバーだった。

懐かしいなぁ。

思い出が蘇る。 

授業中の居眠り、昼休みもバスケ、審判にキレて退場、リングがつかめた瞬間

だが、この写真を見て、僕の頭に1つの?マークが浮かんだ。


ん?誰だ?この人?

これが、僕の勘違いであった場合、すぐに病院に行こうと思う。

なぜなら3年間、スラムダンクの安西先生のように厳しく優しくご指導頂いていた方であれば絶対忘れるわけがない。そもそも忘れてただけならとんでもなく失礼な話だ。

もちろん、専属のコーチではなく、学校の職員であり、先生というのは覚えている。

だが、バスケ部のコーチは本当にこの方だったのだろうか?

これは是非知っている方がいたら教えてもらいたい。

病院にはその返答次第で行きたいと思う。

と、冒頭からお決まりの先生いじりで申し訳ない。

高校は、中野区で実家からチャリンコ通学だった。

痴漢されながらも雨の日も風の日も頑張って通学していた中学3年の満員電車からの解放。

そして、全校生徒で180人しかいなかった中学から一転、1学年200人以上いる高校へ。

さらに、2年生、3年生が同じ人数くらいいて、自由な校風で規則がなかった為に、約600人程の生徒が自由な服を着て、奇抜なヘアスタイル、ピアスにタトューになんでもオッケーだった。その環境が、バイクや車よりもますます「オシャレ」というものに興味を湧かせた。

しかし、興味を駆り立てられたことは確かだったが、実際は、本当にひどかった。過去の写真などを見てもなぜそんな格好をしていたんだとツッコミたくなるようなコーデだった。ホストのようなセットアップを着てた時もあれば、オーバーサイズのTシャツにGパンでちょっとヒップホップ意識した感じの時もあったり。髪の色は本当にチャラい茶髪で、カラーレンズのグラサン。

鳥肌ものである。

そんな僕でも友はできた。

中学と同じく、高校も変な奴は全然いなく、本当に良い友に恵まれた。いや、変な奴はたくさんいたが、皆、本当にいい奴ばかりだった。

学校では少し経つと必ず、そのクラスにいくつかの島ができてくる。各自、同じ雰囲気の仲間探しを始めるからだ。

話しかける人、話しかけられるのを待つ人、初対面から積極的にいける人、自分が出せない人、

色んな性格の子供以上大人未満の人間が、出方を伺いながら輪を広げていく。

だが、僕がいた高1の時の1組のクラスに島はなかった。

おっきな1つの島。

そんな感じだった。

その島が、ベースにあって2年で仲良くなった仲間、3年で仲良くなった仲間が加わるような感じだった。

あの変な一体感はなんだったのだろうか?

クラス生徒の振り分けをした先生は、誰か分からないが、1番クセのあるメンツが集まったのが1組だったらしい。その1組に抜擢された担任の先生は、気合を入れて臨んだと卒業式の時に笑いながら言っていたのを覚えている。

最初にクラスに入った時、かぶってる人は1人もいなく、1人1人のキャラ立ちがハンパねぇなぁと出席番号順で指定された1番後ろの席に座りながら、そんなことを思っていた気がする。

そんなメンツで始まった高校ライフであったが、しばらく経つと、あるルーティーンが出来上がっていた。

学校終わり→若宮公園→ゲーセン→中込家

学校終わり→若宮公園→カラオケ→中込家

学校終わり→若宮公園→ゲーセン→カラオケ→中込家

中込家はちょうど帰り道だったこともあり、かなりの確率で友達が来ていた。

もっとやること、楽しいこと、何かあったんじゃないのか?と過去の自分に言ってやりたいが、当時は、このだるーい感じが楽しかった。

実家では漫画読む奴、64のスマッシュブラザーズやる奴、寝る奴、なぜか脱ぎ出す奴、母親と話してる奴、夕飯も食っていく奴、色々いたが、その中で髪を切りにくる奴も割と多かった。

もちろんメンズ限定。

ちょっと褒められて見事に調子こきましたね。

リピーターになってくれた友達も多かったので、中込美容室がここで、オープンしたわけである。

テクニックはもちろんなかったが、自分の髪質と全く違う髪質をたくさん触り、その経験値が徐々にクオリティーを上げてくれた。

自分の髪質だとこのくらいだからこの髪質はこのくらい切ればちょうどいいかなぁーとか、生えグセがこっちだからここはあまり短くしない方がいいなぁとか、

やればやるほど似合わせのスキルが上がっていった。

知識がなかった分、正しいか間違っているかは、切った時にしか分からない。あとは、友達が喜んでいるか喜んでないかで判断する。

独学でのメンズカットの考え方はこの時から変わらない。

頭の形や癖を分析し、その人が扱いやすいように彫刻のようにカットする。

この趣味的環境で行なっていた中込美容室。

これが第3のターニングポイントである!

その後進路では、何にも考えることなく、必然的に美容専門学校に行くと決めたのだった。

余談。

高校に入ってから経験したアルバイトは、

ジョナサンのキッチン、漫画喫茶のティッシュ配り、いなげや、庄屋、焼き鳥屋、日給の仕事など。

高校の時は、軽音部があったが、あえて入らず別でバンドを組んでいた。今もお客さんで来てくれているギター担当だった親友の家に行っては曲を覚え、スタジオで練習。青春を感じた思い出の1つだ。

ちなみに、中込は楽器ができないのでボーカルだったが、この事実を何故かスタッフやお客様は絶対信じてくれない。

しかし、信じなくても大丈夫だ。

再結成はもうすぐである。

 
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