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2017-01-06

スタッフブログ, 原宿サロンよりお知らせ

亡き祖母にカットをしてあげたかった・・・。

別にお涙頂戴ではない。

が、僕の美容師になるきっかけになったのは間違いない。

2016年はたくさんの出会いがあった。

2017年もたくさんの出会いをサロンでもプライベートでもしていきたい!

中込(大吉)亮太!

改めて自己紹介をここでしていきたいと思う!

知ってる人も知らない人も是非、みてもらいたい。

ブログのプロフィールに必ずある質問。

《どこで育ってどういう子供だったか?》

《いつ、なぜ今の仕事をやろうと思ったのか?》

では、始めよう。

出身地 は東京。

詳しくは、東京で生まれ、生まれてすぐに香川県高松市に引っ越し、小3までを日本で1番うどんが美味い場所で育つ。

ほとんどの記憶がない中で、覚えていることといったら野球と縄跳びに明け暮れていたこと。

0歳〜9歳までは終わりです。語れるほどの記憶がない。

ここからは少し記憶があります。

小4から新宿は歌舞伎町で思春期を過ごす。

香川県で培った野球と縄跳びで4番サードのポジョンを勝ち取り、縄跳びで校内1番になる。

香川県の澄んだ空気で田舎の道路を自転車で爆走していた環境から、人を避けながら歌舞伎町の繁華街を自転車で爆走する環境に変わり、カルチャーショック的なものは子供ながらにあったと思う。

遊び場が公園からゲームセンターになり、1学年200名以上いたマンモス学校から1学年60名の校庭がゴムで、トラック一周100mしかない都会の学校に移り、自分がどんどん変わっていくのをとても覚えている。

卒業するまでには、全学年全員の顔と名前が一致していた。

よく、お客様方に教室の隅で読書をしているネクライメージを持たれるが、夏はお気に入りのミネソタティンバーウルブスのTシャツを着て、1人で校庭を駆け回り、冬はお気に入りのシカゴブルズのトレーナーを着て、1人で校庭を駆け回っていた真逆の少年だった。

友達はいました。

そんな内気でわんぱくなこの時期に、美容師として働くきっかけとなった最初のターニングポイントが訪れる。

小学校の頃は、祖母に連れられ、よく美容室に行っていた。

僕が行きたかったわけではなく、初孫を見せびらかしたくて連れ回されていたと言った方が正しい。

その際に担当して頂いていた美容師さんに何故かハサミをもらうことになる。

もらったシザーはもちろん、営業で使っている数十万円のシザーではなく、その美容師さんが専門学校生の時にもらった教材の中に入ってたハサミではあるが、それでも普通の文房具ハサミよりかははるかに鋭い。

祖母のカットをじっと見ていて、冗談半分で欲しいと言ってしまったことで、美容師さんも引くに引けなかったのだろう。

なぜなら僕の祖母はVIPカスタマーであったからだ。

2週間に1回は美容室に行き、カラーやパーマ、トリートメント、物販もガンガン購入する。

また、舞芸の師範代でもあり、お茶もやる。

実家の一階は踊りの教室になっており、お弟子さん方がよく来てわ、上質な畳の上で優雅に踊っていた。

(今では、甥っ子ユウゴが上質な畳の上でバットを振っている。)

サロンでも上客であったことに間違いないだろう。

僕も小さい頃は教わっていた。もちろん、僕自身はそんなつもりもなく、甘いお菓子が食べれるからやっていただけである。

(おばあちゃん、ごめんなさい。)

だが、そのおかげか、

『ゴメはソフトタッチ。』

と、よく言われる。

(おばあちゃん、ありがとう。)

話が飛んでしまったが、そのもらったシザーが、僕の中ではサンローランのライダースをもらったのと同じくらいの感覚であり、切らないのに学校に持って行ったり、自宅でエアーカットしていたのを覚えている。

祖母は僕が美容師になることを本当に楽しみにしていた。

孫に切ってもらえる。

それがどれだけ幸せなことかは今になってはとてもよく分かる。

祖母は、僕が美容専門学校を卒業する間際に亡くなってしまった。

内定が決まっていたTONI&GUYの話、国家試験の話、いつになったら切れるようになるのかと、よく話したりしていた。

シャンプー練習にも来てくれるはずだった。

ちょっと文字を打っててウルッときてしまったので、ここまでにしよう。

とにかく、美容師に興味を持った最初のターニングポイントは、小学校の時に祖母と一緒に行った美容室での出来事だった。

小学校編 完

 
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